遺品について

人間は、残すことが好きだ。

いろんなものを残してきた結果、今日まで種がつながり、歴史という概念が誕生した。

すべての人間が飽きずに続けてきた、絶対的な流行と言えるかもしれない。

 

ある日、母から大量の画像が送られてきた。祖父らが生前、2階の部屋の隅に残しておいた品々を写した写真であった。祖父はかなり前に亡くなり、祖母は施設に入った。今は住む人もいなくなり、十数年ぶりに部屋の大掃除を始めた母が見つけ出した、秘密の宝物だった。

江戸時代の年号が刻まれた古銭、懐かしの五輪記念金貨、値打ち物のべっこうぐし…それらも魅力的だったが、目を奪われたあるブツがあった。戦時中のおもかげを宿した、配給切符である。

この紙切れがなければ、当時の人々は食べ物や着る物に困ってしまった。命の綱である。そんな色あせた紙切れは、家族の人数分揃っていた。見覚えのある丈夫、という名前。祖父の名である。そのうしろには、十三歳、という補足事項が付け足される。十三歳。

ねえねえこんなものもあったよ、と、踊るような口調で母がまた画像を送ってきた。若かりし頃の祖母が、祖父にあてて書いたラブレターであった。父の日のプレゼントに頭を悩ませた結果、ライターを選びました。大切に使ってください。と、初夏の川を涼やかに泳ぐ鯉のような、祖母の達筆が告げている。おまけに、ハートマークと「チューッ!」というおのろけの刻印のようなメッセージが、便箋中に書き込まれていた。

次々に送られてくる画像には、それらをはじめとした思い出の品々が写されていた。何のためらいもなく二の腕や太ももを露出している、うら若き母のブロマイド。かつて、水泳選手として名を馳せていた祖父の名誉を称える新聞記事、今や砂漠と化した頭皮に、まだ木がふさふさと生い茂っている父のスナップ写真…。それらのすべてから、丈夫(68)、恵(28)、英弥(35)と、彼らの当時の齢が浮き上がる。十三歳の祖父に送り渡された配給切符のように、わたしの知っている彼らの、わたしの知らない一期間の光景が、鮮明すぎるほど胸に刻まれる。

ラブレターに触れながら目を閉じるだけで、祖母が祖父のデートのために服を選ぶ姿が脳裏に浮かぶ。

 

思えばわたしも、年末の大掃除をしていると「10年前のわたしからの手紙」を掘り起こしたことがある。当時大事にしていたペラペラした安物のブレスレットと一緒に、明日の体重測定が嫌でたまらないこと、来月のりぼんが楽しみなことなどが綴られていた。校庭の砂ぼこりの匂いが伝わってくるような、円佳(12)の毎日がそこにはあった。

 

人間は、残すことが好きだ。

自分が生きていたその証拠を残し、誰かに伝えたがる。

わたしたちが、円佳(12)の記憶を、丈夫(68)の思い出を、恵(28)の日々を埃にかぶせるのは、そういう本能なのかもしれない。

フィルムに焼き付けたり、便箋に文字を敷き詰めたり、記事を切り抜いたり。時を遡れば、ほら穴の壁に動物の骨で絵を刻み込んだこともあった。種を絶やさぬよう、DNAを伝え続けるのと同じように、その行為を続ける。

 

こういう過去と現在をつなぐシンパシーに、私は非常に心揺さぶられる。何百年の時の隔たりをとびこえる、ヒューマンビーイングとしての共通点に、頭がくらくらする。くらくらしませんか、人間の皆さん。

 

そんなたわごとをぷかぷかと浮かばせながら、わたしは今こうしてキーボードを叩いている。円佳(22)の記憶を刻みつけるために、灯篭流しのように、散文をインターネットの海へ放つのである。